レポート:3月1日ワークショップ「現象学と東アジア」
Report
日本より一足早い春の訪れに迎えられ、3月1日に香港中文大学日本語学科との共催でワークショップ「Phenomenology and East Asia」を開催した。ワークショップは、9時から途中1時間半の昼食休憩をはさんで18時まで行われ、充実した一日となった。香港中文大学は授業期間の只中で、教員も学生も時間をやりくりして参加していただいた。なお、発表、質疑ともすべて英語で行った。
第一部
当初の順序を変更し、平岡、犬飼、ホイ氏の順で発表した(以下、日本側参加者は敬称略)。
平岡は、レヴィナスのフッサール解釈に依拠しながら、表象に対抗する現象学的記述の意義を論じた。現象学的記述とは、一般化を免れる具体的な固有の経験を記述することである。こうした記述が可能なのは、「Meaning more (Mehrmeinung)」の構造が意識の条件となっているからであり、またその際、記述する自己が外部の観察者ではなく、時間・空間内を移動する自己であることなどが論証された。
犬飼は、レヴィナスにおける隠喩と誇張の問題をとりあげた。『全体性と無限』において、レヴィナスは、レトリックなき論理的言説を対話に先立つ教えとして規定していたが、一方で隠喩や誇張は、レヴィナスの作品に意識的に採用され、彼の哲学的・倫理的実践と結びついていることが論じられた。
ホイ氏は、フッサールの想像概念について発表した。想像における内容であるファンタスマは、絵画的表象では直接的に捉えられず、直観が要請される。他方で想像では個別のものを把握することはできず、そのためには知覚が要請される。知覚と想像は補完し合う関係にあるが、この想像の契機が発生の問題にも関わることが指摘された。
第二部
昼食後、我々は張氏の案内でキャンパス内の博物館を見学し、また2014年に香港中文大学キャンパス内で起きたデモの舞台となった広場を散歩した。香港における学問と民主主義の拠点であるキャンパスの熱い雰囲気を感じる中、第二部の発表は行われた。
小倉の発表は、マルディネのリズム概念と、ドゥルーズ=ガタリの哲学のリトルネロ概念に依拠して、カオスからの「テリトリー」の構築を論じるものであった。リズムによる形態発生を暫定的な「留まり(séjour)」として捉える発想をマルディネから引き受けたドゥルーズ=ガタリは、そこから「家を建てること」の理論を構想する。以上の議論は、肉概念(メルロ=ポンティ)や、フォルト‐ダー(ラカン)との緊張関係のなかで展開されており、小倉の発表は、同時代的な思想史的布置のなかで、来るべきひとつの「テリトリーの現象学」を素描するものだったと言える。
タン氏の発表は、記憶と忘却という問題を巡ってリクールの現象学の立場から神経科学との対決が論じられ、そこからさらに行為の現象学へと議論を展開させるものであった。現象学は神経科学の唯物論的な立場において顧みられることのない意味の領域を扱うが、タン氏は、両者の関係が排他的ではなく、むしろ良好な相互関係を結びうることを示した。
池田の発表では、和辻の解釈学的倫理学による現象学に対する鋭い批判を出発点に、解釈学と現象学における道徳的経験に対するアプローチの仕方の共通点と差異が提示され、現象学のデカルト主義的側面が浮き彫りにされた。池田は、道徳的経験における孤独、あるいは一人称的な視点を捉え直すことの重要性を指摘し、そこに現象学のさらなる展開の可能性を示した。
第三部
合田は、西田幾多郎が激賞した田辺元の論文「儒教的存在論について」が、「種の論理」を構築する上で決定的な役割を果たしていることを論じた。合田の指摘に拠れば、田辺は『易』の存在論を民族の型に関連させており、陰と陽をつなぐ太極という『易』の構図は、個と類を媒介する種という「種の論理」の構図に重ねることができる。しかし、こうした議論は、儒教や仏教の日本化が強調される文脈の中で、忘却されていく。
志野は、ヤスパース、ブーバー、ハイデガー、メルロ-ポンティ、グルニエ、マルディネらの『老子』解釈を紹介し、現象学者たちが原文との間にまたがる深淵を自覚した上で、自己の哲学に基づいた翻訳を行っていることを論じた。
張氏は、天地開闢の根元を無名無為とした太安万侶による序から説き起こし、西田の場所論が有と無を同時に扱うことを可能にするものであることを確認した上で、こうした議論が日本語の構造と関係していると主張した。すなわち、花を目にして日本語で「花だ」と言うとき、この表現は、無の場所に花という有が出現するという事態と的確に対応しているとされる。
話題は多岐にのぼったが、それぞれが自身の関心を比較的自由に発表できたことで、質の高い議論がなされたように思う。香港中文大学は、アジアにおける現象学研究の拠点の一つであり、これまでも大規模なセミナーやシンポジウムを継続的に開催してきた。今回第一部の司会進行を務めていただいたJacky TAI Yuen Hung氏は池田と、過去のセミナーで出会った旧知の仲であった。また、このワークショップの翌日からは「戦後フランスにおける現象学と反現象学思潮」と題した3日間のシンポジウムが開かれていたが、そこに参加されていた朱剛氏と王恒氏を、今年8月に東京に招いて、レヴィナスに関するシンポジウムを行うことを予定している。このワークショップが一つの結節点となり、そこから様々なレベルでの交流が進んでいくことを願ってやまない。
末尾ながら、多忙の中、コーディネータ役を務めていただいた張政遠氏に、あらためて感謝の念を捧げておきたい。
(文責:犬飼、志野)