二つのシンポジウム「現象学と儒学」と「Opening up Japanese Philosophy」
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遅くなったが、9月末から10月初に行われた二つの国際学術会議について報告する。
一つは台北の国立政治大学で行われた国際シンポジウム「現象学と儒学」であり、一つは、福岡の九州大学西新プラザで行われた国際シンポジウム「Opening up Japanese Philosophy: The Kyoto School and After」であり、後者はIntenational Association of Japanese Philosophyの最初の大きな国際シンポジウムとして開催された。この二つの催しに合田と志野が参加し、それぞれ発表を行った。
国際シンポジウム「現象学と儒学」は、台湾、中国大陸、香港、ドイツ、韓国、そして日本からわれわれ両名が参加して、9月30日と10月1日の両日にわたり、計24名の発表が行われた。現象学者としては、フッサールやハイデガーらとともに、シェーラーやレヴィナスの言説が多くとりあげられ、儒教としては、『論語』の概念の再検討を試みる発表が最も多く、次いで、孟子、朱子学・陽明学、そして現代新儒家の牟宗三らをとりあげる発表が目立った。主題としては、儒教がそこに力点を置いてきたからだろうが、倫理や社会性の問題に焦点を当てる発表が多かった。合田は“ ‘On Confucian Ontology’ by Tanabe Hajime” と題した発表を英語で、志野は「現象學與「風土」:和辻哲郎與洪耀勲的風土概念」と題した発表を中国語で行った。儒教の伝統的概念を西洋由来の哲学的方法で分析した場合、しばしば「木に竹を接ぐような」などと否定的に形容されるが、実際に多くの発表を聞いてみると、むしろ中国の伝統概念を新たな視点で読み直す有益な視点が、現象学によって提供されているように感じられた。例えば、『論語』の「里仁為美」を、既存の地域社会の組織を越え、相互主体性が成立する倫理的共同体を示すものとして読解した黄冠閔氏の発表などが、個人的に印象に残っている。あらためて儒教の生命力が中国語圏で根強く息づいていることを感じたシンポジウムであった。合田と志野以外に日本の哲学者をとりあげた発表はなかったが、質疑応答で、日本における現象学受容や儒教理解に対する関心の高さもうかがわれ、有意義な交流が行われたことを付言しておく。
(合田 @台北 国立政治大学行政大楼)
国際シンポジウム「Opening up Japanese Philosophy: The Kyoto School and After」は、さまざまな国から、参加者自身がそれぞれ旅費・滞在費などを工面して福岡にかけつけ、10月7日から9日の3日間で、総勢46名の発表が行われた。授業などの関係で合田と志野は8日から9日の一部しか参加できなかったが、全体の活気は十分に感じられた。日本人の発表者は15名程度であり、そのうち日本語で発表したのが半分程度、日本語での発表は、全体で15本程度で、それ以外は英語で行われた。合田は“Shyunsuke Tsurumi and Yosimi Takeuchi” と題した発表を英語で、志野は前週の台北での発表内容を若干変更して「和辻哲郎の「風土」と台湾」と題した発表を日本語で行った。休憩時間には、英語、日本語はもとより、中国語、フランス語、ドイツ語などが乱れ飛ぶ国際色豊かな光景が出現していた。こうした希有な空間が醸成されたのは、International Association of Japanese Philosophy (IAJP)のメンバー、中でも今回のシンポジウムで主導的役割を果たした張政遠氏の尽力に負うところが大きい。この国際シンポジウムでは、パネル発表もいくつか用意されており、初日冒頭には京都大学の上原麻有子氏が司会者となって西田幾多郎の著作の翻訳に関するパネルが(こちらには合田も志野も残念ながら参加できなかった)、最終日の締めくくりには日本哲学の周縁を問題にするパネルが組まれていた(司会は志野)。後者では、張政遠氏がまず沖縄や台湾や朝鮮半島、香港といった場所から日本を見直すことを提唱し、他三名の発表者が、具体的に、植民地支配下で教育を受けた朴鐘鴻や洪耀勲、さらには戦後在日朝鮮人として生きた金石範や金時鐘などをとりあげた。いずれも日本哲学の可能性を広げ、国際的に開いていく方向性を示したパネルとして特記しておく。
なお、2017年3月初頭に、張政遠氏の所属する香港中文大学で、この総合研究「現象学の異境的展開」が共催に加わるかたちで「東アジアにおける現象学」についてのシンポジウムを開催する予定である。(文責:志野)