レポート:シンポジウム「民国時期における中国文学とフランス文学の交流」
Report
5月30日と31日の両日、上海の復旦大学で開催された国際シンポジウム「民国時期的中法文学交往」(民国時期における中国文学とフランス文学の交流)に、合田と志野が参加し、それぞれ報告を行った。
シンポジウムは、日本から参加した我々2名のほか、フランスから2名、そして主催の復旦大学をはじめとする中国各地の大学から11名、計15名の報告者の発表で構成され、関連分野の復旦大学の教員や、学期末の授業を縫って聴講に訪れる学生たちも加わり、盛況のうちに幕を閉じた。発表は資料を丹念に収集・整理して、フランス語文献の中国語への翻訳・改編の具体的様相を明らかにするものと、中国文学におけるフランスイメージの描写やフランス文学の影響、フランス文学における中国イメージの描写について論じるものとに大きく二分された。発表は中国語かフランス語で行われ、PowerPointで別言語の資料を用意することが各発表者に求められた。
合田は初日にフランス語で「Vertige serein de l’Abîme, Silencieux, Tumulteux. M. Merleau-Ponty, lecteur de P. Claudel et d’ A. Malraux (深淵を前にした静謐な目眩、喧々黙々――クローデルとマルローを読むメルロ=ポンティ)」と題する発表を行い、メルロ=ポンティの東洋観を概観したのち、アジアに滞在した経験のあるクローデル、マルローの東洋観をとりあげ、メルロ=ポンティの著作において、彼らの思索が重要な役割を果たしていることを明らかにした。志野は二日目に中国語で「翻訳柏格森:在中国和在日本(ベルクソンを翻訳する――中国の場合と日本の場合)」と題する発表を行い、張東蓀が、ベルクソンのL’évolution créatriceを英訳から重訳する際に、大幅な要約や敷衍を行っている具体相を調べ、その改変が、既刊の日本語訳や当時の日中の思想環境に依存していることを明らかにした。両発表とも参加者からの関心を引き、質疑応答の時間および、その後の休憩時間も含め、有意義な意見交換が行われた。議論は中国語とフランス語を交えて行われ、参加した中国人学生たちのフランス語運用能力の高さにも驚かされたシンポジウムであった。これを機会として、中国大陸の研究者たちとの交流をいっそう広め、深めてゆきたい。