1月10日レポート:第2回講演会 生の現象学から生きることの形而上学へ
Report
ミシェル・ダリシエ氏「生の現象学から生きることの形而上学へ――メルロ=ポンティと共に」:
2016年1月10日、明治大学駿河台キャンパスグローバルフロントC5会議室
(写真:ダリシエ氏)
ダリシエさんの新著のタイトルが『六角形と列島』(L’Hexagone et l’Archipel, 2013)であることを書店のカタログで知ったとき、私は即座に、ダリシエさんをぜひ招聘したいと思った。私自身が「列島・群島」というテーマに捕らえられていたからである。ダリシエさんとはこれまで二三度話を交わしたことがあるにすぎない。いずれも日本ベルクソンプロジェクトに絡んでの席であったが、京都、パリ、リールでの数々の刺激的なイヴェントと結びついて、ダリシエさんの表情や言葉は濃密な記憶として私に刻まれている。ただ、数年前にメルロ=ポンティの研究に専心していると伺いながら、なぜメルロ=ポンティなのか、当時私にはその理由がよく分からなかった。その後ダリシエさんはBNFなどでメルロ=ポンティの未公刊文書の調査を続け、アビリタシオン論文としてそれを提出した。この論文はすでに『メルロ=ポンティにおける形而上学』(La métaphysique chez Merleau-Ponty)というタイトルでの出版されることが決定している。今回私たちが幸いにも逸早く拝聴できたのはこの近著の中心的トピックスであった。
(写真:(左)合田、(右)ダリシエ氏)
「フランス語と日本語どちらでやりましょうか」との質問に、私は「どちらでもいいですよ」と無邪気に答えたが、何か重要なことが自分には分かっていなかったように思う。なぜか。フランス語ですでに執筆された原稿をダリシエさんはみずから日本語に訳し、講演では、それを私たちのために一時間半にわたって読み上げていただいたわけだが、思考を何語で表現するかという問題をはるかに超えて、そこでは、言語と思考、言語と生きることとの交錯そのものが問われていたのだ。優れた作家は母語を外国語のように扱うとはプルーストの言だが、いわゆる母語なるものが外国語であるとき、いわゆる外国語なるものは何語なのだろうか。かつて私は「言雲」という観念を提起したことがあるけれども、私たちはつねに「言雲」の不断の変形ならびにその相転移を生き、生きさせられ、生きさせているのではないだろうか。講演は、フッサールにおける「生世界」の批判的解釈から始まり、それを変形的に継承するハイデガー、アンリ、レヴィナスという三つの方途が示されたのち、メルロ=ポンティとの格闘へと進んでいったが、ダリシエさんは、私たちがともすればほとんど注意を向けることなく使用している「生きる」にまつわる様々な表現の機微から、「豊かな矛盾」とも称される「中働態上」の「切迫した転覆の交差」として「生きる」という働き(faire)を描き出してくれた。「形而上学的意識は、日常経験、つまりこの世界、他人たち、人間的な歴史、真理、文化といったもの以外の対象をもたない」という、かつて確実に読みながらも私が忘れてしまっていたメルロ=ポンティの言葉がまさに実践されたのだ。最後にダリシエさんは黒澤明の『生きる』に言及された。ある人物の葬式での知人たちの語らいがこの人物の「生を生かし」、こうして生かされる生が、語らう者たちの生を作り、彼らを生きさせる。感動せずにはいられない描写であったが、私たちの「生きる」ことにはこのような交錯を伴わないものは何一つないように思われる。第二回講演会をそのような絡み合いの生成場にしてくれたダリシエさんに深謝申し上げたい。講演後は、新年会に相応しく、また別様の愉快な絡み合いが幾つも生成したことは言うまでもあるまい。
(文責:合田)